その人にはその人のやり方がある。その方法を極めることで達成できるなにかがあるということを時々考えます。
英語ではwayにやり方、手段という意味もあるようです。日本語の道にも人生の意味を絡ませることがあり、道は人それぞれ異なるなどとたとえる表現があります。それぞれ違うはずなのにあたかも決まった幹線道路があり、そこを歩くのが正しいのかのように考えてしまうのはなぜなのでしょうか。
他人を思いやる気持ちを捨てない限り、色々なやり方があっていい。それが結果的に他の人にもなることさえある。そんなことを考え始めています。