それに見えてくる

 古代遺跡の人物塑像などを見ていると何とも稚拙なと感じることがあります。そしてそれが造形技術や空間把握の未熟に原因があると勝手に考えます。これを当時の人々はどのように捉えていたのでしょうか。

 古拙と感じるのはあくまで現代人の感覚であると想像されます。私たちは写真や3Dプリンターで現実のコピーを造ることができます。その視点から人間にすら見えない古代の美人像を見ても幼稚にしか見えません。これは恐らく現代人も将来同じ評価を数十年後の未来人から受ける可能性を示唆しています。

 例えば土偶ならば、どんなに精巧に作ったとしても土の塊であることには変わりません。それに美女なり勇者なり、豊饒な大地や広大な宇宙を感じるのは人間の想像力によるものです。古代の人々は我々から見れば稚拙に見えるものを、現実と重ね合わせる想像力を持っていたのです。

 その時代の人々のものの考え方に寄り添って考えることが、古いものを見るときには必要です。すると見えない何かが見えてくるはずなのです。

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