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NHKはネットにどう対応するのか

 来月から放送法が変わり、放送局にもインターネットでの情報発信が義務付けられる。NHK ONEというサービスではネットによる同時配信が始まる。いままでは放送時間終了後、もしくは時差で配信していたのが、テレビの代わりにスマホで番組を観ることが可能になる訳だ。

 便利になる反面、テレビを持たなくても受信料を払う義務が発生する。いわゆるインターネットテレビはテレビではないから受信料を払う義務はないという方便が封じられる可能性がある。今も受信料を払わずにNHKをインターネットで視聴しようとすると画面の一部が遮断される手法が取られているが、これがより明示的に行われるはずだ。災害情報などは例外的に無料開放されるという。

 NHKも他の有料チャンネルと同様に課金を前提に番組を提供することとなる。AmazonやNetflixと違うのは独自コンテンツを制作しているか否かだ。課金するならばもう観ないと突き放す人が増えればNHKの経営は厳しくなっていく。これは私にとってはゆゆしき事態に思える。

 東日本大震災のとき、地震発生時からの初期報道を滞りなく行えたキー局はNHKだけであった。ある局は大阪発の番組の切り替えができず、大阪も揺れている程度の情報で済ませ、ある局は揺れる無人のアナウンス席を放映して不安を増大し、他の曲は通常番組を流し続けてかなり後になって字幕で震度などの情報を伝えた。あの時ほどNHKのネットワークと非常時対応力を実感したことはない。それが受信料批判などでとある団体から非難されたのは残念というより国家的損失を招くのではないかとも感じたのである。

 ネット世代の人々は自らも情報発信者になれることを知っているのだが、信頼と信憑性のある情報には金がかかるという事実に気がついていないのか敢えて無視している。

 今回NHKがネット情報に重きを置くようになったのはよいことだが、無責任な批判に屈して情報の質を落とすようなことがあってはならないと思う。オールドメディアなどと揶揄する者には、情報の質と公平さで対抗してほしい。

時代劇の効用

 YouTubeでたまたま表示された昭和の時代劇を見てみた。いわゆる勧善懲悪の定型の内容だ。すぐに別の動画に移るつもりだったが、最後まで見てしまった。

 ストーリー展開には荒いところもあり、人物造形も典型的なものの連続だ。それらは気になることであったがそれよりもなにかを引き付けるものを感じた。恐らく日本の文化に基づいたこうあるべきというすじ運びができているのだろう。落語や講談の展開と似ているからかもしれない。

 悪はどこまでも悪で、それに虐げられた人々は救われるべき弱者として描かれる。そして悪役が崩壊するときの爽快感を主役が演じて見せる。こういう展開は現実にはめったにないのに、時代劇では必ず達成される。爽快なのだ。

 時代劇の話には日本人の伝統的行動様式が反映されている。ある意味、これらを通して和風を学んだともいえる。いまの若い世代にはこの機会が少い。昭和のマンネリといわれた時代劇にも実は私は効用があったと私は考えている。

紅白は枠組みを変更を

 紅白歌合戦が日本の伝統であるかいなかについては議論がある。私はこの行事自体には意義があると考える。この番組に出場することを目標としているプロ歌手は依然として多く、その意味でも継続すべきだろう。

 ただ男女対抗の対抗戦という形式はそろそろやめていいのではないか。男女で芸能を二分することはほとんど意味がない。混成のバンドも増えているし、むしろこれからは性別によって区分けをすること自体無理がある。

 例えばそれぞれの本拠地や、縁の地でチーム分けするのはどうだろう。いっそのこと生まれ月で分けてもいい。毎年、チーム分けの基準を変えてもいい。さらにいうなら対抗戦の勝敗の結果はほとんどの人にとって無意味だ。だから、勝敗をつけること自体やめてもいい。

 エンタメとして盛り上げるために歌以外の要素があまりにも強調されているのも気になる。じっくり歌を楽しむ番組になればいい。取ってつけたように合戦の体を装うことは止して構わない。

 年末に歌の力で感動をもたらしてくれる歌手に活躍の場を与えるべきだ。歌番組の原点に回帰すればと切望する。