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高層マンション

 近隣で高層マンションが建設中である。土地の利用という点において高層住宅は効率的であろう。ただ少し心配になる。

 耐震免震の技術は進んでおり、よほどのことがなければ崩壊することはない。その規模の大地震ならば高層建造物でなくても壊滅しているはずだ。思うに電力などのライフラインが途絶する事態になったときにどうするのかということだ。先の大震災でも被災地から離れた地域でもエネルギー確保に深刻な状況が続いた。

 こういうもしもの事態に対して建造物の住民はもちろん、地域の住民も含めてシミュレーションをしておくことが必要だと感じるのだ。

 いかに科学的な裏打ちごあったとしてもそこで暮らすのは人間である。巨大な長屋であることを考えなくてはなるまい。

つくし

 アスファルトに囲まれた中でわずかに残る露面に今年も土筆が育っているのを発見した。すでに伸びきって立派な形になっていた。

 この場所はもう何年も前から3月になると土筆が立ち、しばらくすると雑草に覆われ、気がついたときには草刈りされている。使い道もない空間なので放置され続けてきたのだろう。

 実はこの場所はこの後、道路が建設される予定になっている。周辺の家屋のいくつかが取り壊され、予定地である旨の看板が立ちだした。おそらくこの土筆の小景も近い将来見られなくなるはずだ。

雑木林

 毎朝通過する車窓からの風景の大半は住宅街だ。しかもかなり密集していてこの方面の開発が成功したことを意味する。

 子供の頃もこの辺りに住んでいたがもっと緑が多かった。雑木林が点々と残り、そこにはいろいろな動植物がいたと思う。今残るのは緑地であり、管理下にある非住宅、非商業地帯である。散歩できるように頻繁に手入れが入るため、かつての禁足地的な雰囲気はない。

 安全性や周囲との関係性を考えると雑木林は都合が悪いのだろう。便利とともに多くのものを失った。ビルや住宅の群れをブナやらシイやら、さまざまな雑木の幻影としてみると不思議な感慨に包まれてしまう。

公園の意味

 明日からは寒くなるかもしれないということで横浜市のある公園に行ってきた。最近は人ごみのある所にはなかなか行きづらい。公園であれば他人との距離は保てるし、何よりも気分が晴れる。それはマスクに阻まれない精神の解放である。

 都市が大きくなると公園の存在が大切になる。人々が生活する空間は日常の様々な秩序が渦巻いている。そこには安定もあるが、息苦しさも同居している。そんなときに開放的な空間が必要になるのだ。公園はいまのような時世にはその存在価値をはっきりと認識できる。

 公園があることは人々の生活がうまくいっていることを示す。公園の秩序が保たれているのはその地域がうまく回っていること意味するのだ。この時代にあって公園があることに深く感謝するのである。

囀り

 春の季語である囀(さえず)りがいま自宅の近くで盛んに起きています。

 在宅要請の中、多くの産業活動が停滞する中で事前の営みはかえって息を吹き返しているのかもしれません。今朝は様々な小鳥のさえずる声が聞こえてきました。少し山間部に行かなくては聞くことができないような鳥もいるようです。恐らく人出が減り、鳥たちの活動範囲が広がったことに関係がありそうです。

 私たちは日ごろいかに人工的な空間に生活しているのか。そしてそれをちょっと止めれば、自然の復元力が発揮されるのかということが分かってきたような気がします。