タグ: 自然

若葉のグラデーション

 絵心は皆無だが是非描きたいと思うのがいまごろの木々の若葉である。実に繊細で複雑だ。すべてが異なりながら、どれも同じような形をしている。

木の絵を描きたい

 水彩でも油彩でも入門書を立ち読みすると、こうした木々の描き方の指南がある。その通りに真似てみるとなるほどそれらしい絵になりそうだ。ただ、これは木を描いたのではない。木を見て森を見ず、という言葉があるが木さえ見ないで木を描くということになる。

 しかし、本当に見たままの木を描くことはかなり大変なことだ。一つ一つ違う葉の有様をどのように描こう。描きながら刻々と変わる自分の感情をどう制御すればいいのだろうか。

 それでもいつかは自分の目で木を描くことを夢見ている。恐らく、他人が見たら何の絵か分からないものになるかもしれない。ただ、ゴッホの糸杉のように、それがどうであったかより、どう見えたのかの方が大切なのだろう。

 若葉のグラデーションを描くことを目標に加えることにしたい。

黄砂と湿気

 今日明日は黄砂が飛来するそうだ。言われてみればなんとなく空が濁っている気がする。さらに今朝は湿度が高い。この空には大量の砂粒と水泡が漂っていることになる。

 あまりいい条件ではないが、こういうときは何か別の視点が取れるチャンスと考えたい。濁った空の下で何ができるだろうか。この気を晴らすものは何か。技術的な話になると手が届かない。生活の工夫ならばできるだろう。あるいは考え方を変えれば新しいアイデアが生まれるかもしれない。

 空が繋がっていることを再認識すれば、励ましにも警告にもなる。高湿を気をつければ今後の猛暑に備えられる。何か考え方を変えていきたい。

シャガ

 山野に自生する草花の中では美しさの上位に入ると私が思うのがシャガである。射干とか著莪と書かれることもある季語の一つだ。

 この可憐な植物は中国原産という。種子を作らないため、植生地を広げにくい制約を持ちながら、日本で広く分布するのは、この花を愛好する人たちが持ち運んだからだと言われている。山道などでも見るが、これも人が植えたり、かつて住んでいたところであったりするという人為的要因が考えられるそうだ。

 美しさ故に子孫繁栄に繋がるという例の一つと言えるのかもしれない。

アザミ

 近隣の空き地にアザミが咲いていた。久しぶりに注目すると、つくづく野趣溢れる花である。

 全体的に刺々しい風貌は、自らの身を守るための進化なのだろうか。うっかり掴むと怪我をしそうな感じだ。子どもの頃、痛い目にあった記憶が蘇る。野遊びでもこの植物は注意がいる。

 花も紐のような花びらで非常に個性的だ。赤でも桃色でもない色合いも印象的で代替し難い存在感がある。調べてみるとアザミは食用とされてきたのだという。茹でると棘は柔らかくなり食べられる野草になる。

 あざみ野という駅が通勤電車の駅名にある。本当のアザミの群生はしばらく見ていない。野草を見ない生活を続けているとどこか精神的不調になるのかも知れない。次の休みは散歩に行こう。

黄砂

 黄砂の飛来する季節になった。東京では明日から黄砂が大量に飛来するらしい。洗濯物を外に干さないようにと天気予報で呼びかけている。

 いわゆる西域の砂漠の砂が風に乗ってやってくる。毎年のことであるが、来ると言われると緊張するものだ。電子機器などに障害が発生しないか心配だ。

 グローバル時代などと言われるがこうした自然現象こそ国境など意味のないものだと痛感させるものだ。宇宙から見れば、砂漠は日本列島のすぐ近くにあり、近隣の現象に過ぎない。

 黄砂のように分かりやすいものは意識することができる。温室効果ガスやウイルスなどもつねに世界をかけまわっていることを再認識した。

ツツジ

 躑躅は万葉集にはすでに歌われている。桜の後に続く花は赤や白、その中間色や混ぜ合わせたような彩りまで様々だ。庭木として植えられることが多いので桜より身近だ。花の奥の蜜を吸ったり、花飾りを作って遊んだりした。

 今朝駅の近くに植えられたツツジが一部開花しているのを見つけた。もう少し前から咲いていたはずだが気づかなかったのだろう。一度気がつくとあちこちですでに花の面積を広げつつあることに気づいた。葉桜の後に出番が来たと言っているかのようだ。

 近縁のサツキやシャクナゲなどもこのあとに続くのだろう。花のリレーがどのように展開されるのか楽しみである。

夜桜

桜に月

 数日前、近くの公園は桜の盛りを迎えていた。すでに散り始めた枝もある。見上げると月が出ていて、その光に桜花の彩りが一層引き立つ。

 恐らくこの光景は数日の後にはなくなる。桜は偶然を痛感させる。実はすべてのものが一度限りでありながら、似たものを見たり聞いたりすることで永遠に繰り返されているような気になってしまう。

 今日の夜桜は今宵限りだ。ただ夜桜なるものは来年もこの場所であるだろうし、この場所でなくても似たようなものはある。一回性か普遍性かそんなことも考えさせる。

 ただ言えることはこの日の夜桜はよかった。これまでの中でもかなりいい部類だということだ。

彗星

 北の空に周期がかなり長い彗星が接近しているという。今日最接近というがあいにく曇り空だ。

 5万年という周期は人間にとってはとてつもなく長い。5万年前にはネアンデルタール人がまだ活動していた。ホモサピエンスはようやくアフリカからの壮大な旅に出た頃だ。

5万年後に今の人類が地球に存在している可能性はどのくらいだろうか。環境破壊か戦争で自滅してしまう可能性がある。あるいは自ら作り出したAIに支配されて無力になった末に絶滅する可能性もある。種として5万年の持続は何もなくても難しい。そんな生き物にとっては長すぎる時間も、天体の運動にとってはほんの一瞬なのかもしれない。

 夜空を眺めると広大な宇宙と人生の小ささを痛感する。彗星はそのきっかけの一つだ。

野生動物の異常行動

 最近、野生動物の異常行動が目立つように思う。特に海洋性の動物の異変は顕著だ。大阪のクジラの迷い込み、東京ではトドが現れたり、大量のイルカが見られたりした。こうした行動は何が原因なのだろう。


 天変地異の予兆とする考えはこの種のニュースでは必ず起こる。特に地震の前触れではないかという考え方は一種の噂として拡散されやすい。


 また、気候変動のせいだという説に関してはもっと根源的な問題になる。もしそうであれば長期的に起こりうることであり、今後も注目されるべきだからだ。


 さらに人為的な要因と考える説もある。例えば軍事的なソナーなどの頻繁な使用により、動物の持つ方向感覚が狂っている説である。もしそうであれば、近隣諸国との緊張関係が影響しているということになるし、また公表されていない軍事行動が展開しているという証になる。


 これらはどれも推測であり、確証はない。どれかが当たっているかもしれないしすべてが外れている可能性もある。


 野生動物の異常行動が何を表すのかを考えることは、結局現在の生活を見直すことにつながることは間違いない。

惑星

 このところ夜空を見ると月の他に火星、木星が輝いている。すぐに沈んでしまうが土星も見える。夕刻には金星、そして私の住まいの近くでは無理だが低く水星も出ているらしい。冬の恒星は明るいものが多く、随分賑やかだ。しばし凍えるのを忘れて仰ぎ見てしまった。