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高層マンション

 近隣で高層マンションが建設中である。土地の利用という点において高層住宅は効率的であろう。ただ少し心配になる。

 耐震免震の技術は進んでおり、よほどのことがなければ崩壊することはない。その規模の大地震ならば高層建造物でなくても壊滅しているはずだ。思うに電力などのライフラインが途絶する事態になったときにどうするのかということだ。先の大震災でも被災地から離れた地域でもエネルギー確保に深刻な状況が続いた。

 こういうもしもの事態に対して建造物の住民はもちろん、地域の住民も含めてシミュレーションをしておくことが必要だと感じるのだ。

 いかに科学的な裏打ちごあったとしてもそこで暮らすのは人間である。巨大な長屋であることを考えなくてはなるまい。

彗星

 北の空に周期がかなり長い彗星が接近しているという。今日最接近というがあいにく曇り空だ。

 5万年という周期は人間にとってはとてつもなく長い。5万年前にはネアンデルタール人がまだ活動していた。ホモサピエンスはようやくアフリカからの壮大な旅に出た頃だ。

5万年後に今の人類が地球に存在している可能性はどのくらいだろうか。環境破壊か戦争で自滅してしまう可能性がある。あるいは自ら作り出したAIに支配されて無力になった末に絶滅する可能性もある。種として5万年の持続は何もなくても難しい。そんな生き物にとっては長すぎる時間も、天体の運動にとってはほんの一瞬なのかもしれない。

 夜空を眺めると広大な宇宙と人生の小ささを痛感する。彗星はそのきっかけの一つだ。

IT産業の苦境

 アメリカのハイテク産業が不景気の波に飲まれている。アルファベットやマイクロソフトなどが大規模な人員削減を行うというニュースが流れている。私は強い違和感を覚えている。

 ITを牽引している技術者の皆さんは省力化のために新しいシステムを立ち上げ、実現してきた。少ない人数でも経営できるための手段を切り拓いているのだ。しかし、他ならぬその成果のために、自分の職が奪われている。100人で動かせる会社を10人で運営可能にすれば、90人は不要になるのだ。

話を単純化しすぎているが、一面の真実は捉えているはずだ。人を幸せにするための科学技術が人を疎外する。何か理不尽を感じるのだ。

機械に話そう

 AIの発達により、人間の言語に近いコミュニケーションができるシステムが完成しつつある。日常会話ならば機械に話しかけると自然に感じる程度の返事をする。映像やロボットなどと連動させれば、あたかも機械と会話しているかのような気分になれるらしい。

 規則性のあるものや、パターンが決まっている文章作成能力はあるようで、ビジネス定型文章や分析を中心とする文章は得意で、論文も書けるとの報告まである。

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 無料で試せるオープンチャットを試してみた。これはテキストでのチャットの形で行われている。英語版だったので、拙い英語で問いかけてみた。すると長めの答えをしてくる。例えば、AIは人類にとって有益なのかと聞けば、多くの利点があるが、場合によっては人間に危害を与える危険性も含んでいると答える。また日本の文化について知っているかと聞けば、歌舞伎や寿司、漫画とアニメなどがあるなどと答える。検索して答えるのと違うのは、AIが選んできた答えを、話しかけられるような形で得られるということだろう。

 このシステムは従来の検索システムを凌駕するともいわれている。資料がただ提示されるのではなく、AIのアレンジが加わっているからだ。利用する側からすれば便利である。一層、考えなくてもよくなるからだ。

 ただ問題点も大きい。現時点ではAIは意味の世界まで踏み込んではいない。聞かれた質問に対してもっとも可能性の高い回答を多数の検索データの中から抽出しているのに過ぎない。だから、表面的には整っていても根本的な間違いを犯していたり、正解であっても人道的道義的には許されないといった不文律のようなものは反映できないのだ。

 機械に話しかけるというと実に寂しい人間のようだが、これからはそれが当たり前になる。そのうちの脳波を読んで先回りして答えてくれるような技術が生まれるのかもしれない。ただし、意味とか価値観といったものをどのように機械が獲得していくのか。今後に注目したい。

新薬

アルツハイマーの症状を緩和する新薬がアメリカで承認された。日本の企業のエーザイが開発に絡んでいるとのことで期待されている。

ここからは妄想だ。新薬の価格はかなり高価で、今のところ誰でも使えるわけではない。日本の場合は保険の対象になる可能性はあるが全額は出ない。するとこの薬は富裕層に独占され、それ以外は恩恵に与れないことになる。

 すると、天命を全うし、健康年齢を活用できるのは限られた集団のみということになる。この妄想はおかしい。罪深くさえある。しかし、もし事実ならば未来はどうなるのだろうか。

新薬がもたらす新世界の幻想はこれまでもSFの世界では常套的な構想だが、それが近い将来に現実になるかもしれない。妄想だが。

適応

進化できるかな

 人体が環境にどう対応していくのかを考察したものはいくつかある。そのいくつかはファンタジーと言える類であり、ホラーとしか思えないモノもある。

 進化という名で呼んでいいものなのかは分からない。ただ環境に対する対応ということに関して言うなら人体は確実に変化していくだろう。さらに人為的な改変も加わる。外見を一時的に変えるだけではなく、遺伝子を操作して根本的に変えてしまうことはこれから普及していくはずだ。人工的な機能を内蔵することもあるだろう。コンタクトレンズ型ウェアラブルデバイスはもっとも実現しやすいものという。何かの漫画ではないが機械伯爵との対決は嘘ではないのかもしれない。

 ただしこういう話の大前提は人類がヘマをしでかさないことだ。環境汚染で自滅したり、核戦争で未来の可能性を断てば何も起こらない。

似顔絵

顔の印象はどこで決まるのか

 まったく下手なのだが絵を描くことには興味がある。人の顔を描いていて思うのが僅かな違いで印象が激変するということだ。

 顔を描いているとき、ほんの少しの線の有無で雰囲気がかなり変わってしまうことに気づく。だから絵を描くときこれがどのような効果をもたらすのかを常に考えている。

 絵ではなく実際の顔認識ではどうなのだろう。誰かを誰かに似ているという話を聞くとき、納得するときと疑問を感じるときとがある。顔の印象を決定づける要素が人によって異なるのではないか。先の絵の話で言えばどの線を描いてその人らしさを捉えるのかが人によって違う可能性がある。

 写真から似顔絵風のイメージを生成するアプリがある。やってみると同意できないことが多い。我々の視覚はかなり主観的なもののようだ。

レトロラッピング

 現在走っているガソリン車のポディをそのまま使って電気自動車にしてしまう企業が注目されているらしい。中にはいわゆるクラシックカーのEV化もなされるようで興味深い。

 松本零士の漫画に銀河鉄道999がある。見た目は蒸気機関車が牽引する客車だが、銀河を越えて遥かな旅をするハイテク列車だ。見た目はレトロだが実は最先端技術が搭載されているというものは今後の一つの流れになるかもしれない。新しいものは機能的だが、それゆえに味わいがない。レトロなラッピングをすることで親しみやすく使えるものができるかもしれない。

 ものの話ばかりしたが人間にもそういう人がいても面白い。見た目は老けているのだが実は最新のスキルを持っている。そういう人だ。私はそれを目指したいが中身がやはり追いつかない。ラッピングの方はすでによくできているのだが。


水素エンジン

 飛行機が飛ぶときに大量の燃料を消費するのを考えると、持続可能性という観点では大いに問題があることになる。ガソリンの代わりに電気や燃料電池などで飛ぶ飛行機を作ればいいと思うが、技術的に問題がある。

 水素エンジンは一種の夢だ。実際には水素だけで飛ぼうとすると燃料タンクが大きくなってしまい長距離の飛行には向かない。様々なインフラを整備しなくてはならないことを考えると現実的ではない。ただ、化石燃料を使わない飛行機ができることへの期待は止められない。いつか爆音をあげない飛行機が飛ぶことを夢見てしまうのだ。

道具

 ITがどんなに発達したとしても、それが道具であることに変わりはない。そのことを忘れると道具の道具にされてしまう。

 私たちの知っている大工道具や文房具と比べると、電子化された道具はかなり容態が異なる。人工知能のような道具になるともはや人格さえ感じる。カズオ・イシグロの『クララとお日様』のラストシーンの決まり悪さはもう道具が道具と見えないことによるものだ。

 でも、もう一度考える必要がありる。私たちは道具を使っているのであって、道具に使われてはならない。当たり前なことなのだがいつの間にか忘れられてしまっている。

 道具を使いこなすのは身体だけではない。それを使う精神も健全でなければならないのだ。