サトイモの葉に隠れて
中学生に教える教材としての小説に山川方夫『夏の葬列』という短編小説がある。疎開先で敵艦載機の機銃掃射に遭遇し、自分をいつも助けてくれた姉のような人を恐怖のあまり突き飛ばし、結果的に死に至らしめたことへのトラウマが描かれる。過去との決別のために悲劇の地を再訪した主人公は新たな悲劇を知ることになってしまう。掌編小説としては完成度が高く、限界状況での人間のふるまいやその後の人生観の変化などが分かりやすく描かれている。
この小説を何度も教えてきてその都度不思議に思うのは、この小説の設定の通りだとすると1945年8月14日に連合軍(アメリカ軍)が日本の本土を空襲することがあったのだろうか、そして明らかな民間人を機銃掃射で攻撃することがあったのかという疑問である。もしそうならば戦争犯罪に近い行為であることになる。
この件について調べてみると、興味深いことが分かった。山川方夫が疎開していたのは現在の二宮町であったという。ここはその東に平塚、西には小田原がある。湘南地方には軍需工場が多数存在していたらしく、それを殲滅するための攻撃であることは想像できる。しかし、8月14日は日本が降伏を宣言する前日であり、ポツダム宣言の受諾はほぼ間違いがないとされていた時期であったはずだ。地元の史家が収集した記録によると、小田原では8月に何回か民間人が艦載機の機銃掃射で死亡する事実があったという。特に13日には小学校が空襲にあい、教師と用務員が犠牲になっている。さらに14日の深夜、もしくは15日の未明には小田原市内に多数の焼夷弾が投下され、402戸が被災し、12人が死亡したという(一説に死者は48人)。この爆撃が伊勢崎や熊谷を爆撃した編隊が残留弾を消費するために行ったという説もあり、いろいろな意味で許しがたい。戦争はこのように非道な行為が正当化されてしまう。
「夏の葬列」はあくまで創作であり、事実に基づかなくてはならないというものではない。でも、14日の空襲は実際にあったことだし、民間人への機銃掃射もなかったとは言えない。芋畑を無防備に歩く人への攻撃は作り話だと思いたい。残念ながらそれ以上に非道な、無差別の空襲や、原子爆弾などによる大量殺戮もあることは忘れてはならない。
この小説は主人公が抱えた原罪の意識をどのようにとらえていくかが読みどころとなる。そこが反戦小説を超えて読み継がれている所以だろう。ただ、やはり戦争というものがもたらす限界状況が人の判断を狂わせるといういかんともしがたい事実を私たちは様々な場面でかみしめる必要がある。