タグ: 政治

女性候補

 衆議院議員選挙の立候補者のうち政党に所属する女性は全体の18.4%で、均等を求める理念からは程遠いことが分かった。

 与党の自民党は9.7%と全く目標に及ばず、公明党は意外にもそれより低い7.5%とこの国の女性の地位を向上させる思いがうかがえない。それでは野党はどうかといえば立憲民主党も18.3%にとどまっている。

 政党別で女性の比率が最も多いのは社民党で60%である。唯一女性候補の方が上回った。ただし、立候補者数15人の小党であり、解散前の議席数は1で議員となるにはハードルが高い。

 各党とも候補者不足をその原因として挙げているが、そもそも女性を政治家として育てるシステムが各党にあるのか。タレント議員を思い付きで擁立して集票するという方法で女性を使う以外に方法はないのか。政治家として必要な経験とキャリアを用意して議員に立候補させる仕組みを各党が考えていかなくてはならないのではないかと考える。

 女性議員が増えるだけで政治がよくなるとは私は思っていない。大切なのは性別ではなく資質だ。それでも、多様性は必要でありその大きな柱の一つは性別だ。無理に均等にする必要はないが、現状ではなりなくてもなれないという性的ハンディが大きすぎる気がする。

所得倍増?

 岸田首相が自民党総裁選挙で掲げた所得倍増の言葉の解釈をめぐって疑問が出ている。経済再生担当相の山際氏が苦し紛れの釈明をしているが誰もが倍増などありえないと考えている。むしろ虚しい言葉を使う政治家を軽蔑する材料となっている。

 所得倍増は戦後の復興期の特殊事情でこそ実現したがいまはどう考えても無理だ。見かけ上のインフレで倍増しても通貨の価値が下がるようでは無意味だ。

 ただ、所得を増やすことはこの国にとって死活問題であることは相違ない。まずは持てる人たちが金を使う方策を考えるべきだろう。持たざる人たちまで利益が及ぶためには使ってもらわなくてはどうしようもならない。一律徴税するという愚策はやめた方がいい。

 金を回すのが富裕層の義務であり誇りであるという考えを普及すべきだ。個人的には金持ちの贅沢にはやっかみもあるが、大事なのは経済を循環させることなのだろう。倍増は無理でも少しは潤うきっかけが生まれる。

明日より未来

 衆議院の解散総選挙が近づき、各党が公約を出している。集票のためか公的資金分配を掲げる党が多い。いただけるのはありがたいが中長期的展望を説明してほしい。

 日本の財政は世界的に危機的な状況にあるという。国際的な信用がそれを許しているが、今後もそうだとは限らない。借金をすればなんとかなるという基本概念は行き過ぎると努力をしないことに繋がる。分配するにあたり、財源は何か、返済はどのように実現されるのかを分かりやすく示してほしい。

 例えばかつてのように国民全員に10万円を配るとする。生活に逼迫していない層は貯蓄や投資に横滑りしたはずだ。これでは経済活動に寄与しない。足りない人にはすぐに消える金額だった。使える人は使う方がよいし、使う予定がない人には寄付や贈与ができる仕組みがあれば少しは役に立つ。

 私の無知を暴露しているのだが、おそらくこの程度ことしか多くの人は分かっていないと思う。金を配ることにどのような意味があるのか分かりやすく粘り強く説明してほしい。秩序を重んじる国民性からして、訳が分かれば金の使い方も変化が起きるかもしれない。

 明日の利益も大切なことだが、この先の未来に責任を持てそうな党に投票したいと考えている。

改革、再生、復興

 岸田首相が誕生し組閣人事が昨日のニュースだった。わずかながら世代交代があったことは喜ばしい。女性閣僚が3名に止まったのはやはり人材不足なのだろうか。

 最近の大臣には兼務項目を併記する傾向にある。今回も記憶できないほど多くの肩書きがある大臣が複数いる。本来職掌の中にありそうなものもあり、仕事をすることのアピールなのだろう。

 それにしても再生とか改革とか、そういう名のついている役職が多い。それがいまの日本の現実なのだろう。世間では実際には何もできないとか、短命であるとかいろいろ噂するものがある。国民としてはそのどちらもが国益に叶わないので、世評を裏切ってほしいと願いたい。

総裁選

自民党の総裁選挙が行われ岸田文雄氏が当選した。議院内閣制に馴染みがない国の皆さんにとっては不思議かもしれないが日本国民は自分の首長を自ら選ぶことはできない。だから、総理大臣に対しての意識がかなり屈折している。自分のあづかり知らないところで選ばれた人という意識が常に付きまとう。

自民党はよきもあしきも日本の社会構造の縮図のような組織だ。国会議員たちは空気を読んで行動する。つまり自分の主義主張より、周囲との調和の方を重視するため普段からあまり自己主張しない。したとしてもこのようなときにはあっさりと大勢に調和してしまう。だから党全体としては大失敗はしない。代わりに飛躍的発展は望めない。

日本のこのようなあり方はどうなのだろう。おそらく、短期的もしくは中期的な局面においては著しく危険だろう。新機軸を出せないままひたすら衰退していくしかない。一度衰退が始まると様々に波及してその深刻さは顕著になっていく。

逆に考えれば失敗はしないことは、最低限の水準で消滅は逃れる可能性はある。冒険をしないことで損害は逃れられるという楽観的な考えだ。これから発展していく国にはよく考えてみれば数々のリスクがある。それを乗り越えられるのかは誰にもわからない。堅実路線を行ったほうが最終的には生き残る可能性もある。

自民党を選ぶのは日本国民の冒険しない国民性の心的傾向を体現しているとも言える。実は自民党にはいくつもの派閥があり、野党の役割を党内で果たしている一派もある。日本には政権を担当できる野党がないので、その代わりを果たしているのである。

それでも私は今のままでは行けないと思う。岸田次期首相には嫌われ者になっていただきたい。日本を改革するためには首相が行動を起こさなければ始まらない。変革者はたいてい嫌われる。それでも停滞しているこの国をなんとかしなくてはならない。直接、選んでいない代表だがなるからには相応の働きを期待したい。

熱量

 首相の発言には熱量が足りないと指摘した同僚議員がいたとのこと。それを指摘したことを他に語るその人の熱量は間違っていないのだろうか。

 忠告や助言は勇気ある行動だと考える。それができないで停滞することは公共の福祉にも関わる。ただそれを他に誇る様では売名に過ぎないように感じる。詳細が分からないので検討違いをしている可能性もある。

 混乱時きは清濁が意図的にも無意識にも併流する。見極めねばならない。

制御

 新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。もう知らない誰かが罹ったいうレベルを超えてすぐ近くまで病魔が迫っている感がある。感染拡大を行政の失敗と非難する人も出てきた。当たっているが間違ってもいる。

 政治家ができるのは外出規制や補助に過ぎない。人々の動きを拘束できない以上、判断は各自に任されている。また、そういう社会を望んでいるのは私たちだ。

 指導者たる人がとるべきは各自が適切な判断をくだせるようにその都度情報を提示し続けることだろう。それが不十分なまま勧告しても従う人は増えない。

 制御することは不可能かもしれないが、とるべき方法はまだある。低下する関心の中で増加する犠牲者がいる。私たちは今一度冷静に状況把握をするべきなのだ。

 

アメリカ大統領は

 大統領選挙の開票が始まった。最近の世論調査ではバイデン候補がリードしているというがまったく当てにならないのは前回で証明済みだ。景気回復を国民の自尊心と結びつけて果敢に猛進するのか、弱者救済を考慮しながら多少の損失があっても協調を重んじるのか。アメリカ国民にとっては難しい選択だろう。どちらの候補にも大きな難点があるのも話を複雑にしている。

 日本では二人の候補を漫画ドラえもんの登場人物にたとえて紹介する報道がある。トランプ大統領はわがままで強引なジャイアンに、バイデン候補を優等生の出来杉くんだとするものだ。これは自国民にとってはある程度当たっているのかもしれない。ただ日本にとってはどちらの候補もジャイアンであることに変わりない。

 次なる大統領が何を目指し、何を要求してくるのか。その辺を見きわめながら手製のドラえもんにその場しのぎの機械を出してもらうしかあるまい。

あと1週間

 アメリカ大統領選挙まであと1週間だ。我が国の未来にも多大な影響をもたらす選挙だけに注目している。共和、民主のどちらが勝利しても日本に有益というだけではない。いずれにもリスクがある。

 国際的な協調を基盤として生きていくしかない我が国にとっては、アメリカという大国の力をうまく活用し、ときに協力し、あるいは批判して超大国の本筋を踏み出さないように影響を与えることが必要だ。経済問題は重要だが、東アジアの治安を維持するための同盟関係を展開することの方が大切だ。隣国との小競り合いに事態を見誤ってはならない。

 大統領候補のいずれにも欠点が見えるのが今回の選挙の難しいところだ。アメリカ国民はどのような選択をするのだろうか。

どちらになっても

 アメリカ大統領選挙はいよいよ大詰めだ。今のところ挑戦者のバイデン候補に部があるとメディアは報じているがアメリカ人の判断はどうなのかは分からない。単純な多数決でないことも予測を難しくしている。

 日本にとってはどちらの候補者が大統領になっても、相応の対応が必要であり、それが容易ではないということだ。まずはこの国の土台を固めなくてはなるまい。非戦協調の路線を選択した我が国は分断志向の時代では生きにくい。国際舞台で相応の役割を果たすことで、共栄の時代にせねばなるまい。

 指導者を育成することが、とても大切になっている。