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太陽の力

 ソーラー電波時計の一つが止まってしまっていた。もう一つのソーラー時計に浮気をしている間に電力を消費してしまったらしい。私の本当の書斎(ということにしている部屋)は北向きで極めて日当たりがよくない。だから陽光にあたることなく電池が消耗してしまったのだ。

 もうだめかとも思ったがしばらく日に当てること数日、無事に復帰した。しかも電波を受信して秒単位でのほぼ正確な時計に復活したのである。太陽の力は偉大だ。また、安物時計などと侮ってはならなかった。再び私の仕事用の時計として使うことにしよう。冬場になるとコートを着る関係で腕時計がその下に隠れてしまい。腕時計が自然露光する機会が減る。だから、意識的に太陽にさらすようにしなければならないのだ。

 この種の時計は私が何よりも愛用するものである。自動巻きももちろん魅力的だが、陽光だけで動き続ける仕組みは魅力的ではないか。

自動運転車待望

 高齢者が起こす自動車事故が増えている。若い世代には分からないかもしれないが運動神経の衰えは自覚しにくい。だから、いつまでも大丈夫だと思って運転すると思わぬ事故を引き起こす。

 こういう事故の後、必ずどうして高齢者なのに運転するのか分からないという批判が出る。しかし、多くの場合わがままとか自己本位などではなく、運転しなくてはならない事情があるのだ。

 高齢者が運転しなくてもいい社会を作るのがこの国の一番の目標だ。例えばコミュニティバスや相乗りできるタクシーなどは実現しやすい。法整備を急ぐべきだ。テクノロジーの発達も期待したい。完全自動運転の自動車はいつになったらできるのだろう。

 自動車事故が過去の記憶の中だけになるような社会を実現するのはそれほど遠い未来ではないだろう。超高齢社会でかつ複雑な国土をもつこの国が自動運転システムを開発することで世界に希望を与えよう。目的を持てば実現は可能になる。

軍艦

 子どものころ、軍艦のプラモデルをたくさん作った。単純に機械としての魅力が大きかった。それがかつて多くの人を殺害し、多くの人がそこで死んだ場所であることを知っても、実感できるまでには時間がかかった。

 子どものころと同じようにいままた分からなくなりつつある。機械はただ目的に沿って動くだけであり、それをどのように解釈するのかは人間の側にある。人間の心のあり方で機械はどのようにも見える。いかなる役割も果たす。

 軍艦はその代表であり、そんなに大きなものではなくても、殺人兵器でなくても同じだ。何ために道具は作られ、作られた道具が結果的に何をもたらすのかは、何歳なっても予測できない。何らかの悩みを解決するために作られたものが、新たな悩みを生み出す。

 作られたものはある意味で人の願望の理想形であり、その外見は魅力的だ。それゆえにまた人を惑わす。道具を作ったつもりがいつのまにかに使われているということになりそうだ。

IT産業の苦境

 アメリカのハイテク産業が不景気の波に飲まれている。アルファベットやマイクロソフトなどが大規模な人員削減を行うというニュースが流れている。私は強い違和感を覚えている。

 ITを牽引している技術者の皆さんは省力化のために新しいシステムを立ち上げ、実現してきた。少ない人数でも経営できるための手段を切り拓いているのだ。しかし、他ならぬその成果のために、自分の職が奪われている。100人で動かせる会社を10人で運営可能にすれば、90人は不要になるのだ。

話を単純化しすぎているが、一面の真実は捉えているはずだ。人を幸せにするための科学技術が人を疎外する。何か理不尽を感じるのだ。

機械に話そう

 AIの発達により、人間の言語に近いコミュニケーションができるシステムが完成しつつある。日常会話ならば機械に話しかけると自然に感じる程度の返事をする。映像やロボットなどと連動させれば、あたかも機械と会話しているかのような気分になれるらしい。

 規則性のあるものや、パターンが決まっている文章作成能力はあるようで、ビジネス定型文章や分析を中心とする文章は得意で、論文も書けるとの報告まである。

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 無料で試せるオープンチャットを試してみた。これはテキストでのチャットの形で行われている。英語版だったので、拙い英語で問いかけてみた。すると長めの答えをしてくる。例えば、AIは人類にとって有益なのかと聞けば、多くの利点があるが、場合によっては人間に危害を与える危険性も含んでいると答える。また日本の文化について知っているかと聞けば、歌舞伎や寿司、漫画とアニメなどがあるなどと答える。検索して答えるのと違うのは、AIが選んできた答えを、話しかけられるような形で得られるということだろう。

 このシステムは従来の検索システムを凌駕するともいわれている。資料がただ提示されるのではなく、AIのアレンジが加わっているからだ。利用する側からすれば便利である。一層、考えなくてもよくなるからだ。

 ただ問題点も大きい。現時点ではAIは意味の世界まで踏み込んではいない。聞かれた質問に対してもっとも可能性の高い回答を多数の検索データの中から抽出しているのに過ぎない。だから、表面的には整っていても根本的な間違いを犯していたり、正解であっても人道的道義的には許されないといった不文律のようなものは反映できないのだ。

 機械に話しかけるというと実に寂しい人間のようだが、これからはそれが当たり前になる。そのうちの脳波を読んで先回りして答えてくれるような技術が生まれるのかもしれない。ただし、意味とか価値観といったものをどのように機械が獲得していくのか。今後に注目したい。

アナログスマートウォッチ

 私が使っているスマートウオッチはAppleでもGoogleでもない。CITIZEN時計なのだ。しかも充電の必要がないソーラー式だ。Eco-Drive Riiverという変な名前だ。

 この時計はいわゆるスマートウォッチの部類に入るが、アップルウォッチのように多機能ではない。できるのはスマートフォンと連携して秒単位の時計合わせや、位置情報の記録、万歩計、さらには自分で作ったプログラムを3種登録できる。

 2019年ごろに発売され、当時は話題になったが今はほとんど顧みられない。それはスマートという割にはできることが限られているからだ。今のスマートウォッチがほぼカバーしているバイタル情報の記録や、決済機能などはない。メール着信をリアルタイムで知らせる機能もない。その意味ではあまりスマートではない。

 ただ、すべての情報を3つの針と補助針の4つで済ませようとするアナログ感や短針と言いながら、長針と同じ長さであるという不思議さや、機能ボタンを押すと一斉に4つの針が動き出す機械としての動きなどが面白い。おそらく多くの人には使いにくさしか感じられないだろう。私のようなアナログ人間にはこの一生懸命針が動く姿が面白く愛おしく感じるのだ。

 何よりもいいのはエコドライブで充電が要らないことだろう。これはかなり助かる。一方でスマートフォンと連携するとBluetoothで常時接続することになり、スマホの方で結構電池消耗がある。といっても私のスマホの場合は一日一回の充電で乗り切れる。もともと毎日、充電しているので特に困ってはいない。

 このスマートウォッチの設計がいかにも日本的なのが気に入っている。一生懸命デジタルの技術を追求しましたが、結局表現はアナログですという中途半端さも魅力だ。まだ売っているのだろうか。私はお勧めしたい。ただし機械好きの人でないと喜ばないかもしれない。

サクラ

充電設備が鍵

 日産自動車の電気自動車サクラは価格が抑えられたこともあって、普及が考えられる。課題は充電用のインフラが十分でないことだ。

 電気自動車が環境対策の最適解なのかという疑問は消えないが、少なくともヨーロッパからはガソリン車はなくなっていく。日本も時代の流れにはついていく必要がある。水素エネルギーの開発などの次世代技術を進めながらも、近未来的にはEVの時代を通過することは間違いない。トヨタも大胆な電気自動車化を発表しているが、日産の動きは速い。LEAFは先駆的だが、価格が高すぎる。中国の格安の電気自動車や韓国の比較的高性能な電気自動車は日本の先を行っている。

 日本の電気自動車といえば三菱のアイミーブという先駆的存在がある。これも軽自動車の車体であった。三菱を傘下に置く日産に技術者が合流したこともこの流れに何か関係しているのだろうか。日本の風土には軽車両があっており、一定の需要がある。今回のサクラは軽といっても大きめの車両である。安全性とエネルギー系のインフラが確保できれば普及も考えられる。

危険な作業

 たとえば放射線が多くて生命に差し支えるような場所にAIを搭載したロボットを送り込んて作業させることは容易に想像可能だ。人的被害がでないのだから理想的な解決策のように考えられる。

 外部からは観測し得ない状況にあり、通信もままならないとしたなら、現場のAIは自律的なプログラムによって任務を継続することになる。それが致命的な爆発に至る可能性があるとしたとき、私たちは人工知能に命運を委ねることができるのだろうか。

 これはSFの話ではない。人生の重要な選択をどれだけ機械に任せられるのかはあらゆる場面で問われることになるはずだ。人間よりはるかに精度が高い判断をする人工知能だが、それに究極の選択を任せられるのかは哲学的問題に属するだろう。

修理屋の栄える時代に

 エネルギー問題が深刻化していく現状において、いかにエネルギーを活用するのかは大きな問題です。太陽光や地熱、潮力などの新しいエネルギー源を開発する技術に関してはもっと進めるべきであると思います。

 それと同時に今あるエネルギーをいかに効率よく使うのか。無駄な手順をどのように変えていくのかということは同時に行わなくてはならない工夫です。個人の力でもできることは実に些細な省力にしかならないのですが、それでも多数の人が実行すれば大きな数値になります。例えばごみの捨て方なども、あるものをすべて捨てるのではなく、使えるものを再利用したうえでどうしても使えなくなっただけ捨てていくようにこころがければ焼却にかかるエネルギーの節約になるわけです。そういうアイディアを共有してよいものは互いに真似しあうというのが小さな省力化の原点になります。

 我が国がかつて国内生産だけでほぼすべてをまかなっていた前近代の社会事情をみるとリサイクルやリユースとみなされる様々な工夫がなされていました。廃品回収を生業とする職業が多かったのも少ない資源を最大限に活用していたことを表すものです。もちろん、江戸時代と現代では生活の水準が異なり、過去の方法をそのまま復活することは困難です。

 また、大量消費に支えられている産業があることも事実です。多くの人が消費を渋り、リユースに傾いたら産業衰退につながるという考え方もあります。ただ、なにを優先すべきなのかを考えるならば、よいものを長く使うことの方にシフトするべきでしょう。壊れやすいがとにかく安い、壊れたものはゴミになる、という製品から少々価格が高くても想定できる耐用年数が長いものを尊重し、メンテナンスの方に商機を見出す、という流れが必要なのでしょう。

 大量生産、大量消費、大量廃棄という段階を越えてメンテナンスを充実して長くものを使う時代に転換するためには修理屋の社会的地位をあげていく必要があります。壊れたら頼りになるメンテナンス関係の技術者を増やし、彼らの技術を高めていくことがこれからの時代の重要課題になります。

メンテナンス

 様々なテクノロジーが発展する状況の中で、改めてインフラとセキュリティの問題が気になります。

 駅に設置が進むホームドアは転落事故を防ぐための大切な装置であり、東京のような混雑が激しい地域では必須のものと考えます。ただ、多くが後付けのため、エネルギーを伝えるケーブル類が露出しており、経年劣化や人為的損傷を受けやすい状況にあります。装置のメンテナンスも継続していかなくてはなりません。

 他にもさまざまなテクノロジーが普及する中で持続可能性がより一層注意されなくてはならないと感じられることが多数あります。道路や橋脚の劣化が大きな事故に繋がった事例は国内外に多数あります。今度は新たなインフラがやがてまきおこすかもしれない災禍の可能性を常に考えておかなくてはならないでしょう。

 便利なものを使い続けるのにはそれなりの努力が欠かせないのです。