20日となり3月も下旬を迎えたことになる。私たちの仕事では引き継ぎの仕事を中心とする業務が山積する。実際に仕事が多いのだがそれ以上に精神的圧迫が大きい。まずは一つずつ片付けることだ。明日は春分であり、もう昼の方が長くなる。コートもそろそろ止そうか。
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菜種梅雨が来るのか
咲き急ぐなかれ
つくし
薄霞
期待感
高温予想
週間天気予報によると、3月7日(火)以降は最高気温が20℃近くの日が続き、最低気温も10℃を超える日がありそうだという。この時期としてはかなり気温が高く、桜の開花が早まる可能性もあるという。暖かくなるのはよいのだが、季節には段取りがあり、それなりの意味があるはずだ。春が駆け足になることを手放しでは喜べない。
日本気象協会の予報では東京のソメイヨシノの開花は3月18日ということだ。とても4月まで花は持たない。少し前、温暖化の影響で桜は3月に咲くようになるということが科学ニュース扱いで取り上げられ、まさかそんなことはあるまいという感想を持ったものだが、すでに現実になっている。近隣の桜祭りが花期に間に合いそうもないため中止するというニュースがあった。祭りなら残念で済むが、生活に関するものになると静観できない。
まずは体調を崩さないようにすることが私の課題だ。ここ数年春先に弱い。気をつけなくては。
人形
新暦の3月3日はまだ寒い。今日は寒の戻りともいえるような寒さであり、特にその感が強い。旧暦の3月3日は今年の場合は4月22日にあたり、春の印象は随分違う。もともとは古代中国の行事である上巳に端を発し、日本で独自の発展をした3月3日の行事は今ではひな祭りとされている。人形の祭りである。
この人形はもともと罪や穢れをそれに移して自分の身代わりとなり日常から追放されるものであった。流しびなの習慣は現在でも鳥取県などで見られるようだ。この日の行事ではないが、紙など作った人形に息を吹きかけたり、体をこすったりしたものを川に流すという行事は各地にみられる。かつては川は異界につながる道であったようだ。
人形はかわいく愛らしいものであるとともに、どこか恐ろし気な話もあるのはこの罪穢れの請負役という側面があるからだろう。雛人形を行事後すぐに片づけようとするのも、この禊や祓の伝統がどこかで影響しているはずだ。
罪や穢れがあたかも誇りのように体に付着し、なおかつそれを簡単に拭い去ることができると考えていた価値観は非常に楽天的なものであるが、つねに身を清めようとする考え方は現代人にも参考になるものであろう。人形には負いきれないさまざまな日常の罪や穢れを私たちはどうすればいいのだろう。雛人形の端正な面持ちが逆に私たちに問いかけてくるような気がしている。
春日
今日の予想最高気温は20℃と発表されている。3月の始まりに合わせたようにこれからは日中の最高気温が上がる。花粉の飛散も多いようで、最近はくしゃみをする人が増えた。私も規定の半分にしていた対策薬を今日は普通に戻すことにする。

春日と書くと「かすが」という読みもある。もとは奈良の地名であるというが、春日大社の信仰が全国に広がった影響であちらこちらにこの地名がある。また、苗字としてもあるのはこの地名との関係があるのだろう。
「はるひ」と読むと春の陽光、もしくは春の一日という意味になり、短歌や俳句ではよく使われる。この語を使うだけで穏やかな雰囲気がある。万葉集の大伴家持の歌「うらうらに照れる春日にひばり上がり心かなしも一人しおもへば」は、春の穏やかな陽光にもかかわらず孤独を感じているという歌で、万葉とは思えない近代的な個を思わせる作風として知られている。これは「はるひ」である。
「しゅんじつ」と音読みすると漢詩風の響きとなり、ややしまった感じがする。「春日を鉄骨のなかに見て帰る」という山口誓子の句は穏やかな春の光が鉄骨という無機質なものに切り取られている様を描く。その柔と剛のコントラストが際立つ作だろう。
どう読むかでニュアンスはかわる春日だが、底流にある穏やかで生命のうごめく予感を含む語感を大切にしたい。