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哲学の重み

 翻訳アプリの精度が上がってきたので非英語の外国ブログを読むことが増えている。最近はスペイン語とアラビア語のブログを読んだ。さすがに機械翻訳の限界と思われる不自然な訳もあり、完全には理解できないが、それでも概要は想像することができる水準までにはなっている。

 それらのブログを読んでいて思うのは哲学の知識がかなりふんだんに使われているということだ。西洋や中東の人々はどうも哲学的な話をするのが好きらしい。自分たちの考え方の尺度、もしくは基準として先哲の考えを引用しながら論を展開することが多いように思える。

 日本の思想家の多くは西洋哲学を熟知しながらも、どこかで日本なり東洋なりの思想背景を感じさせる何かがある。それは自然を包み込むような包容力のようなものかもしれない。西洋の場合は異論に関しては絶対に許さないという感覚がある。こうした違いがブログのレベルでもうかがえるのは面白い。

 私の記事はそこまで深く考えられていないのは恥ずかしい限りだ。せめて日本らしいものの考え方を分かりやすく示せればと考えている。

耐震と免震

 トルコとシリアの大地震の被害が報道されるたびに大きくなっているのは残念というしかない。かなり大きな地震であったことは確かだが、被害を大きくしているのはやはり建築物の工法の問題だと報じられている。

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 日本のように頻繁に地震がある国だと耐震構造はかなり普及しているようだ。東日本大震災では津波による大規模な被害が発生したが、高層建築物の被害は少なく、ほとんどが被害がなかったか軽微な被害であったという。耐震や免震に対する技術が奏功したと言われている。東京でもかなり揺れたが新宿の高層ビルも、建築途中だったスカイツリーも深刻な被害がなかった。実際に地震が起きないとこうした技術の成果は検証できないのが問題といえばいえる。

 トルコの被害状況を映像で見る限り、高層建築が大破しているものが多くみられる。同じく地震国でありながら、建築に関する基準が異なっていたことになる。前にも書いたが免震技術などは積極的に伝えるべきであり、世界に広げるべきものであろう。

 地震を止めることはできないが、建造物の倒壊を少なくすることは可能だ。その手伝いを我が国はもっとするべきではないか。