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755km

 モスクワとキーウの直線距離は755kmだという。実際には直線移動はできないため、陸路だと900kmを超えるらしい。この直線距離を東京を起点に考えると、北海道の美唄市や福岡県の宗像市辺りになる。つまり日本の国土に半分に収まる距離しかない。

 人が移動するのには遠いが最新兵器なら机上の操作で標的にほぼ命中できる距離であることを再認識する。この戦争は極めて近い場所で行われているのだ。メルカトル図法の錯覚で考えるのは危険ということになる。

 思ったよりはるかに長引いてるこの戦争をどうしたら終わらせることができるのだろう。武器をウクライナに供与しても、ウクライナが負けないことは支援できても戦争を終わらせることはできない。このまま続けても両国にとって不利益である。

 隣国との関係を大切にしなくてはならないのは我が国も同じだ。小異に拘り本質を失うと全て帰り奪われることを知らねばなるまい。相手を知り、折り合いをつけるチカラを多方面から考えていくべきだ。

ハイブリッド

 日本の文化を一言で言うならば雑種と言うことなのだろう。こういうと国粋主義者には必ず批難される。だが、雑種こそ最強であることは様々な事例から明かされている。

 雑種と言わずにハイブリッドといえば少しはいいのだろう。一つの色に染め上げない選択こそ、この国の叡智である。ただ、単なるごちゃ混ぜではなく、何らかの秩序を求めるのが日本らしさだ。日本風というのは素材とか方法論ではなく、他に根源のあるものをミックスしてもそこに一定の美意識を持ち込み整然としたものに見せることなのだろう。

 だから、ほとんど日本らしい要素がないものであっても、でき上がったものは他国にはあまりないユニークなものになる。それが和風の本質なのだ。

 こうしたことは日本に限らずどの国、地域にもあるはずだ。ただ日本の場合はこの混ぜ合わせの度合いが深く細やかだということになろう。

 日本の発言力が低減しているという考えがもし当たっているとするならばこのハイブリッドの能力を発揮できていないことによるものだ。下手に他国に合わせる必要はない。しかし、つねに他国の文化を取り込む寛容さと貪欲さは必要だ。

チェコに球場を

ワールドベースボールクラシックは1次ラウンドが終わった。韓国の敗退は残念だが、いい選手が多いことは分かった。いずれ日本でもプレーしてほしい。一番注目したのはチェコ共和国の活躍である。プロ相手にあそこまで戦えるとは末恐ろしい。

チェコは野球をする環境には恵まれていないようだ。規格通りの球場がない。ならばこれを縁に球場を造る手伝いを買って出るのはどうだろう。何も始めから日本のプロ野球の球場ほどの設備はいるまい。大きさの規格が国際試合かできる規模にすればいい。資金援助が難しいならば、技術上のノウハウを提供するのはどうだろう。欧州ならば一国に1球場あれば国際試合ができるはずだ。

 設備さえ整えばすぐに強敵になるはずだ。そんな可能性を感じる試合だった。

トルコ支援

 大地震で甚大な被害が出ているトルコを支援することは日本にも利がある。利益のための人助けは日本人が嫌う価値観であるが情けは人のためならずのことわざに従う必要もあると考える。

 まずは人道的な意味での支援のリーダーシップを取ることだ。地震国としての日本が災害時には助け合うという精神を世界に広めるにはこの機をおいてない。

 次に被災地の情報を収集し、災害時の作業工程を体験し学ぶことだ。我が国には必ず大災害が起きる科学的予知がある。震災は免れないが、被災後の復興の方法を知ることは国益に大いに関係する。

 耐震免震の構造物をトルコに建てることも日本の貢献できる方法だ。東日本大震災でも建築物の倒壊は少なかった。この技術を世界に共有するべきである。もちろんビジネスとして行う必要がある。そうでないと長続きしない。

 震災の多い先進国は少ない。それにはそれなりの役割があるはずだ。トルコやシリアの支援は日本が存在感を世界に示す機会でもある。不況で苦しい毎日だが、禍のあるときには助け合い、自らの贅沢を慎むべきだろう。

侵攻1年

 ロシアによるウクライナ侵攻が今日で1年目になるという。おそらく現地の人たちにとってはとても長く苦い毎日を過ごしているのだろう。当初はもっと短期間に解決するかと思っていたが、ロシアの執拗な攻撃と、それに対抗する国々の軍事支援のために戦闘は長期化し、いまだに解決の糸口は見えない。

 ロシアの立場からすればウクライナ国内のロシア系住民の救済という大義名分があるようだが、どうもそれだけではなさそうだ。資源にあふれるウクライナの国土を少しでも獲得することや黒海の貿易権を確保したいという伝統的な政策もある。ただ、かつてのように国境線の変更は容易ではない。二国間の衝突に見えて、実は親ロシアと反ロシアの世界的対立である。21世紀の世界大戦はこのような形で行われるということなのも知れない。

 国家権力者の暴挙は許しがたい。前線の兵士たちは今日も傷つき死んでいっている。戦争のために経済状態は悪化し、国際的な活躍をするべきタレントの人生の可能性を奪い続けている。芸術やスポーツの方面の停滞も人類にとっては損失だ。もう終わらせてもいいのではないか。

 ここまで対立してしまい、被害を拡大した以上、怨恨はどうしても残る。ただ、これ以上の犠牲者を出さないためにもロシアには停戦に応じてほしい。またウクライナの傷は世界的な援助で癒す必要がある。戦犯国にすべとを負わせるとどうなるのかは第一次大戦で世界は学んだはずだ。

 日本はこの戦争を機に、軍備拡大の方面に進んでしまっている。隣国の急成長や、意味不明のミサイル連射を見せつけられているからある程度は仕方がない。ただ、防衛は武器だけでなく、言論の面でも強化すべきだ。世界に通用する交渉人を育成すべきだ。この方面で世界貢献しよう。

トルコ大地震

 トルコ、シリア両国の地震による死者が5千人を超えるとの報道がある。人道的支援を急ぐべきであり、また現地の情報を来るべき日本の災害でも生かせるようにすべきだろう。

 トルコは断層が多く、地震が発生しやすい条件がそろっているという。その点は日本に似ている。また、日本の様に免震構造を取る建築物が少なく、被災すると大きな被害が出やすいという。この辺りは日本の技術を伝える必要がある。表現は気を付けるべきだが商機にもなるだろう。

 トルコの対日感情は極めて良いという。それは1890年のエルトゥールル号事件が影響していると言われている。紀伊大島の樫野埼で座礁した同船の乗組員を大島村の村民が総出で救出活動にあたり、69名が救出された。死者行方不明者が587名の大惨事であった。生存者は日本の軍艦でイスタンブールまで送り届けられたという。日本の救出活動の様子はトルコに伝えられ、その印象が日本や日本人への好感度につながっているという。

 地震国としても共通する国は今後も大切にしたい。災害時は互いの知恵を出し合い、困難を乗り越えるべきであろう。

戦車連合

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 ウクライナの戦争が終わらないのはどうしてだろう。ロシアの侵攻が 始まったとき、その不当性は抜きにして早晩侵略は成功してしまうのかと思っていた。しかし、来月で1年になろうとしているのにいまだ解決の糸口が見えない。ロシア側はより強い兵力を向けると言い、ウクライナは欧米諸国から武器の供与を受けている。形を変えた世界代理対戦の様相だ。特に最近の報道では戦車の供与が話題になっている。その中にはかつて第2次世界大戦の同盟国ドイツの製造した戦車も含まれるという。

 日本は地理的文化的に少し離れているのでこの戦争に関してはいまのところ距離を置くことができている。しかし、グローバル社会においてはこの戦争がもたらす経済的な問題がすでに市場におよび、ロシアやそれに近い中国の隣国である我が国はいつまでもオブザーバーではいられなくなっている。

 軍事的な側面に関しての関与は絶対に避けるべきだろう。この際、日本の科学力を示すべきだという考えを持つ人もいるようだが百害しかない。軍事的協力は東アジアの平和のためには危険性しか生まない。戦地の情報は研究に値するが直接関与することは頑強に避けるべきと信じる。

 民間支援は今できることだ。使い捨てカイロの提供は話題になったが、被災地での緊急物資のアイデアは戦地でも活用できるはずだ。政府が行ったソーラー・ランタンの提供のための支援はその一策としては評価したい。

 短期的には達成できないが、長年切望しているのが平和に関する専門家を養成する高等専門機関の設立である。なぜ戦争が起きるのか、起きた場合はそれをどのように解決すればいいのかを学問的、実践的に行う専門家を養成する大学なり大学院を日本に作るべきである。個人の研究室としてはすでにいくつかあるが、国際舞台に人材を送り出す段階にはないようだ。「けんか」のおさめ方の専門家を養成することこそ今の日本の立ち位置にふさわしいのではないだろうか。戦車連合に加わる方法以外の日本のやり方を示すべきだ。

誤爆なのか

 ロシアのミサイルがポーランドの領土に着弾し、死者が出たという報道が流れた。NATOの同盟国への攻撃ならば戦局が拡大してしまう。冷静に対処していただきたい。

 いろいろな可能性を今の時点では考えるべきだ。意図的にポーランドを狙うことは今のロシアの国情からは考えにくい。ミサイルの不具合だろうか。もしかしたらウクライナの放った防御ミサイルかもしれないし、その両方かもしれない。ハイテク機器といってもミスはある。それが悲劇を生む。

 いずれの可能性にしても、直ちに軍事報復に訴えるべきではない。ロシアのミサイルであると判明すれば、被害者としての交渉が可能になる。第三者としての立場を超えられるかも知れない。

 ロシアに通常兵器で攻撃を仕掛けてはならない。すでに国力が疲弊している状況で冷静な判断が首脳部に残されているのだろうか。ロシアが仮に敗北したとしても、それは世界全体としては損失になる。ウクライナ侵攻を中止させ、補償を遂行させる約束を取りつけることで終わりにするべきだろう。

 もっともこのようなことを言えるのは遠い国に住んでいるからかも知れない。犠牲になった人の無念を感じられる地域の人は簡単にはいかない。戦争は憎しみを連鎖してしまう。だから、どこかで止めなくてはならない。

日韓首脳会談

 ようやく日韓首脳会談が行われた。両首脳とも国内では支持率の低下に苦しんでいるが、一歩を踏み出した勇気に素直に称賛したい。

 両国が互いをライバルと考えるのはよいことだ。世界的視野で見れば殆ど似ている関係にある。似ているからこそ争える。かつては植民地支配という不幸な時代があった。今は対等だ。韓国は日本を凌駕することを目指すべきであり、日本は韓国の成長に負けるべきではない。

 ただ、敵であってはならない。地政学上、日韓は自由主義国家としては孤立している。北朝鮮は一向に軍事支配を捨てない。中国の共産党も相容れない政策を続けている。日韓はその国家に包囲されていることを忘れてはいないか。

 韓国ではいざというときには日本の批判をすれば株が上がるらしい。日本にその傾向はないが嫌韓を話題にすると売れるという残念な風潮がある。しかし本当の脅威は何かを考えるべきだ。どうも離間の計にはまっている気がしてならない。 

兵士の命は誰のもの

 ウクライナの戦争が長引いている。ロシアの圧倒的優勢かと思われていたこともあったが、実際は膠着状態のようだ。双方の被害は甚だしい。

 戦争は国家の指示によって行われる。兵士たちは任務として破壊行為を行い、殺戮を続ける。この意味で兵隊は国家の意志の体現者である。個人的な怨嗟はなくても命じられて他国兵士と殺し合う。

 ロシアが侵攻したとかウクライナが奪還したとかいうニュース最近連日報じられているがこれはその裏で多くの人が死んでいることを考えなくてはならない。市民の被害は許しがたい。そして兵士たちもまた、国家に命じられてその末に落命したことを考えるべきだ。

 戦闘員の生死は別の話という論法もある。しかし、彼らは好んで戦地に赴いたわけではない。指導者は武力行使以外の方法を考えなくてはならない。すでに犯した罪は大きいが、止めるための勇気も出していただきたい。