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フォークソング

 中学生にフォークソングを知っているかと尋ねてみた。するとほとんどの生徒が知らないという。民謡と混同する者、ダンスの方を想起する者など意外な結果になった。

 もっとも私の言うフォークはいわゆるニューミュージック世代以降のものであり、政治的色合いがあった先輩たちのそれは実感としてはない。かつてのソングブックには反戦ものや四畳半ものが少なからず掲載されており、練習用に歌ってみたこともある。ただ憂鬱でつまらないものであった。

 おそらくいまの若い世代にフォークソングを聞かせても演歌の様に聞こえるかもしれない。分かりやすく類型的なコード進行にセンチメンタルな歌詞、私小説的世界観、単純な伴奏、そのどれもが隔世の感覚で捉えられるかもしれない。

 それを嘆くわけではない。時間が経ったということである。

乱世型

 人にはいわゆる乱世に強いタイプがあるようです。ルールが固まる前の混沌とした時勢に台頭する人材です。問題が多いですが魅力的でもある乱世型の人物こそ、いまの社会に求められているのかもしれません。

 価値観やその評価法が固定すると、社会は安定します。無駄な活動の少ない効率的な社会組織が理想とされます。平時はこれが理想なのですが、システム自体が機能不全に陥ると、社会全体が危機的状況に没入してしまうのです。その救世主になる可能性を持つのが乱世型人材です。

 救世主待望論は独裁者などの誕生を助長した歴史もあり、慎重にならなくてはなりませんが、それでもやはりなんとかしたいという気持ちがあります。時代にあった人材を育成するのが教育に携わる者の使命なのかもしれません。

マスクを忘れて

 新型肺炎の予防に関してマスクは効果が少ないというのが専門家の意見です。ただ、つけていないとかなりの不安感に襲われるという事実があります。心理的なものと言っても収まらない何かがあります。

 今朝はマスクを持ってくるのを忘れてしまいました。すでに街では何日も品切れ状態が続いており、途中で調達することは不可能です。通勤電車の車内でマスクをつけていない人はわずかです。すると無根拠の不安感が現出するから不思議なものです。遠くから聞こえる咳の音にも反応してしまうのです。また、くしゃみをしたらどうしょうと心配になります。

 マスク依存の昨今はそれ自体がかなり病的で、精神的な弱味につけこまれる隙がいくらでもあります。こういう状況は社会不安も起こりやすいようです。物品欠乏デマもそのような中から生まれたのでしょう。

 マスクをつけることで判断力や正義感までを覆い隠すことのないよう気をつけなくてはなりません。

長く続けるために

 かつては55歳が定年だった時代があります。それが60になり65になり、やがては70歳もしくは定年制度そのものがなくなるかもしれないとのこと。私たちはまだ走り続けなくてはなりません。

 定年延長とはつまり扶養家族にならないということです。社会保障の対象にならずに自立しなくてはなりません。それなりの収入が必要になります。高齢者が企業にどの程度貢献できるのか。あるいは若い世代への影響を考えるとキャリアの後半は低賃金になることも覚悟しなければならない。そういう考え方に早く適応しなくては立ち行かなくなりそうです。

 こうした事態においては自分のポジションを確保しておくこと、時代の流れに敏感であることなどいくつものクリアしなくてはならない条件があります。その中でも最も重要なのは健康でいることなのでしょう。長く走り続ける選手であるためには乗り越えなくてはならないハードルがたくさんあります。今回は義務表現を何回使ったことか。こうした状況を好機と考えることにしたいと思います。

相次ぐ閉店

近隣に大型ショッピングモールがまもなく開業します。人口の割には買い物が不便な地域であったのが一挙に解消される予定です。一方でこのことろある種の店舗の相次ぐ閉店という現象が起きています。

 閉店しているのはコンビニエンスストア、ガソリンスタンド、ビデオレンタル店、それにデパートなどです。ここ数か月の間に急になくなってしまいました。この先に閉店することを告知している店もあります。その中には次のオーナーが決まって別店舗として再開することが決まっている所もありますが、放置されていたり、取り壊されて更地になったことろもあります。

 今後の経済を象徴するかのような縮小現象を目の当たりにすると、大型ショッピングモール開業に浮かれることができないのです。生活の細部を支えてくれた近所の店は消え、少し遠い大型資本の企業が総取りする。どこかで読んだような事態が身近で起きているのです。

 最終的にはあるもので間に合わせるしかありません。消えていくものを惜しむことはできても止めることは難しい。ただ、本当に必要なもの、いい仕事をしているものについては支援をしなければなりません。売っている商品がコモディティ化しても店の立地や雰囲気などは置換できないのです。

 本当に必要なものを必要な店から買うことが私たちにとっては最終的な利益につながることを考えなくてはなりません。

懐古にとどまらないで

 私にとっては懐かしく感じるものが最近いろいろな場面で現れています。例えば過去に流行した歌や、品物などが今風に形を変えて世の中に出回っているのです。

 この原因を日本の高齢化に求める見方は説得力があります。少子化で低年齢層が減少し、購買者が多いのは中高年という現実を踏まえると、新しいものを作り出すよりは懐古趣味に訴えた方が効果的だというのです。過去に成功したものを利用した方が成功率は高く、しかもボリュームゾーンに訴求するとなればいわゆるリバイバル路線は必然の道筋といえるでしょう。懐かしいものには愛着がわくし、新機軸に振り回されている現実からの逃避にもなります。

 ただ、単なる懐古趣味は何も生み出しません。生活の活力を生み出すのは温故知新的な発想です。過去の歴史なり伝統なり風習なりを尊重しながらも、新しく今の生活にあったものを常に探していくことが必要だと感じます。昔懐かしい何かを感じさせながら、実は最新の発想なり、技術が裏にある。底流にあるものは変わらないけれども実は常に新しいものに置き換えられている。これが日本の文化のありかたであり、忘れてはならない先人の知恵です。

 過去のもの見えながら実は全く新しいもの(こと)を作っていくことが私たちの今やるべきことと確信しています。