タグ: テクノロジー

表情筋

 正しい名称は知らないが表情を形成する筋肉はとても複雑な動きをしているに違いない。わずかな表情の違いを私たちは読み取る。だからそれに応じて微妙な形を作り出しているのだ。

 人工知能で作画したアニメーションはかなり自然に近い動作を生成できる。ただ顔の表情となると何か違和感が生じる。説明が難しいがそうはならないという動きになる。手作業のアニメでもこの問題は完全には解決できない。我々はアニメーションにおける表情の型に慣れてきているので不気味さを感じないだけなのだろう。

 歳をとると表情が乏しくなるらしい。他人を見てもまた自分自身のこととしてもどうやらこれは当たっているようだ。表情筋にもそれなりの体力がいる。顔のトレーニングもやはり必要なのだろう。

画像生成

 AIによる画像生成の技術は見るものを驚かす。最近はキーワードを入力するだけで絵画や写真のように見えるものをごく短時間で作り上げる。知らない人が見れば人が描いたものと見間違うほどだ。

 おそらく私たちの画像認識というものはある程度パターン化している。それをコンピューターは膨大な映像データベースから抜き出し、それに近いものを組み合わせてくるのだろう。組み合わせの仕方にもある程度の型があるから、それを使えば自然に見える絵になる。チャットするプログラムと基本的には同じなのだ。だから、ときには奇妙な絵になってしまうこともある。

 今のところは、絵画や動画生成を瞬時に行うことは難しいようだ。それが可能になれば、言語プログラムと作画プログラムを連動させ、ホログラムのような表現で投影すれば、リアルタイムで会話する疑似人間ができあがる。ロボットテクノロジーが追いつけば形而下の世界に現れることになるのだろう。

 言葉でも映像でも騙されやすい私たちがこうした事態にどのように対処すべきだろうか。そのためにも問題発見力とメタ認知の力を身に着けさせるべきだろう。これこそが教育のやるべきことなのだ。

機械とおしゃべりすれば

 機械とおしゃべりすることができるようになった。私がパソコンを使い始めた頃、munouというプログラムがあり、話しかけると返事するのを楽しんだ。ただ、ほとんど無意味な返事しか返ってこなかったのですぐに飽きた。

 会話するおもちゃとしてのファービーも似たようなものだった。見当外れのリアクションがあっても人間の方で勝手にかわいいと判断し、ペットのようにかわいがった。

 いま爆発的に普及しつつあるChatGPTも基本的にはそれと同じだ。ただ、膨大なデータベースから確率の高い組み合わせの情報を瞬時に自然な言語で提示してくるので不自然さはほとんどなくなっている。基本的には昔のプログラムとは変わらないので人間側が不自然だと感じる可能性が極めて低くなったということに過ぎない。

 その点を踏まえた上で、AIに問いかけるのは一定の意味がある。多くの人はこう思うはずだという多数意見を検索できれば様々な判断の材料になる。大いに使うべきだろう。何かに行き詰まったときに回答を求めれば真の解決策は得られないかもしれないが、ヒントにはなる。

見た目レトロ

 松本零士作品の代表作、銀河鉄道999は蒸気機関車のような姿をしながら、実は驚くべき高性能という設定である。宇宙戦艦ヤマトは発進時に最新兵器としての姿を現すが、銀河鉄道の方は、宇宙空間でも煙を吐きながら進む。これには過去の風景を未来に描くというロマンが表現されている。

 この感性は尊重されていい。最新の機能を持ちながら実は最新鋭というスタイルには憧れる。例えば、昭和世代では懐かしいサニーや2000GTの形なのに実は電気自動車だったり燃料電池対応だったりする車があれば魅力的だろう。最新型なのになぜか窓ガラスはハンドルで回して開けるというのもいい。誰か造ってくれないだろうか。

 人間もそうでありたい。見た目はくたびれた老人であっても実は最先端の技能を持っている。感性も新鮮だ。しかもそれを奢ることなく、謙虚な行き方をしている。そういう人は憧れである。見た目はレトロ、実は最新型というものに憧れる。また、そういうタイプの人になりたい。

無人化

いらっしゃいませ

 外食産業で無人化が進んでいる。と言っても、内情は知らないのであくまで客の立場での無人体験をまとめてみた。

 某回転寿司店では入口でロボットが出迎える。彼は日本語がかなり流暢に話せるが、きまり文句以外はできないようだ。この点は最近の人間と変わりない。残念ながら人間の話を聞く度量はないらしくタッチパネルで希望する席種や人数を聞いてくる。作業が終わると丁重にお礼して席の位置を印刷した紙をくれる。

 あるファミリーレストランは席に座るとタブレットがおいてある。客はここでもスクリーンの沼に誘い込まれ、自分で注文をする。かわいいウエイトレスやかっこいいウエイターは来ないが、彼らに間違った注文をされる心配はないし、ご注文はこれで「よかったでしょうか」を聞かずに済む。

 別のファミレスは注文した料理を自走するロボットが持ってくる。残念ながら人型ではなく、自動ワゴンとでもいうべきものだ。なぜか陽気な音楽を鳴らしながら動くのは、そこどけとは言えないからだろう。彼、もしくは彼女には言語能力はない。

 先日入ったレストランは座席案内も注文も配膳も人の手で行っていた。これが一番落ち着く。多少の間違いはあってもいい。やはり人のぬくもりは大切だ。食事が終わってお会計は、というとこれがセルフだという。勘定書のバーコードをスキャンすると金額が表示される。現金を入れるか、スマホでバーコードのお返しをするかで会計を済ませる。ありがとうございますとも言わない。会計が済んだらただ消え去るのみだ。

 以上がすべて揃った店にはまだ入ったことはない。でもそのうち普通になるかもしれない。ロボットにいらっしゃいませと言われ、タッチパネルで注文した料理がロボットによって運ばれる。すでにネットで会計は済んでおり、あとは帰るだけだ。食べ散らかした食器や残版の類はロボットが音も立てずに見事に片付け、除菌までする。これは数年後に見られるかもしれないし、来年かもしれない。

 今日は少し塩辛いなと思ったら、後でお詫びのメールと謝罪用のポイントが届くかもしれない。先日調理ロボットがハッキングされ、塩分センサーに異常が発生していました。今後はセキュリティに注意していきますと。

星座アプリ

stars

 星座アプリの存在は前から気になっていたが七夕を間近にして関心が高まりダウンロードしてみた。アルタイルもベガも同定することができた。

 位置情報の技術を星座表に組み込むことでダイナミックな星座ガイドになっている。現実の夜空に向かって星座の位置を探すのであるから、一種の拡張現実が現れることになる。星座の絵まで表示されるのはプラネタリウムのようだ。

 昼間にこのアプリを空に向けると見えないはずの季節外れの星座が現れる。地面に向けると南半球でしか見えないはずの星座も見えてくる。本当はありえないものを見せてくれる。

 東京の空のような2等星くらいまでしか見えない夜空にこのアプリは楽しい時間を提供してくれる。しかし、見えないものを見えることにしてよいものなのだろうか。再びVRやARの問題を考え始めてしまう。