リモート学習の評判は概してよくない。効率、品質などあらゆる面でリアルの授業よりも劣るからである、この事実を踏まえて次の改革はなされなくてはならない。
うまくいかない原因の一つは技術的な問題である。社員が話し合えばいいだけのリモート会議とは異なり、学校の授業は教員が伝達する場面が多い。また、1対多の局面では個人差を常に配慮しつつ進める必要があるが、現況ではそれが難しいのだ。
リモート学習は効果が上がらない?
通信教育はリモート学習が始まる前から同じようなことをしてきた。通学困難な生徒にとっては通信教育はありがたい学習機会の場であり、勤労学生の支えでもある。そして、一定の効果をあげている。ただそれが学校の授業と置き換わったときには話が変わってくる。
学習カリキュラムを人工知能が個人別に判断して、個個別別の授業をするというプログラムもある。こうなると現場に教員はいらず、自分にあった内容を自分のペースで進めることができる。理想的なようだが、実際に行っている人に聞くと、効果を発揮できる人とそうでない人に分かれるという。また、まったく教員がいない状況で運用すると効率が低下するらしい。
つまり、技術的な問題が解決すればコンピュータを介した学習方法は効果的だが、単にハードとソフトを用意すれば事足りるという訳にはいかないのだ。
学習という行為が多分に感情や情緒の影響を受けることを再確認しなくてはならない。リモート学習が嫌いだという生徒の意見には仲間がいないとやる気が起きないというものがある。至極もっともだ。仲間は仲良しとは限らずときにはライバルであるかもしれない。それも学習意欲の亢進には不可欠なのだ。
すると学校の役割は学習意欲を掻き立てる環境を提供することになる。環境といってもものだけではない。雰囲気であったり行事であったりする。一人では決してできない集団の行動を用意することが学校の役割なのだろう。
いわゆる一流校と呼ばれるものは、それが備わっている。授業は実は他校とそれほど変わらないか、場合によってはいい加減であったりする。それでも結果を出すのは学習行為を発動する要素があるからなのだろう。
学校関係者はこのポイントを外せないし、受験生も偏差値ばかりに気を取られるべきではない。
