20日となり3月も下旬を迎えたことになる。私たちの仕事では引き継ぎの仕事を中心とする業務が山積する。実際に仕事が多いのだがそれ以上に精神的圧迫が大きい。まずは一つずつ片付けることだ。明日は春分であり、もう昼の方が長くなる。コートもそろそろ止そうか。
カテゴリー: エッセイ
菜種梅雨が来るのか
咲き急ぐなかれ
応援の仕方
球場に歓声が戻ったのは大変うれしいことだ。WBCの中継では久しぶりに声を出しての応援風景も見られた。鳴り物入りの応援は日本の野球の特徴であり、野球の魅力の一つになっている。
ただ、私たちは無観客試合の中継を通して打球音や、選手たちが味方に檄をとばす声などを聞いてしまった。それは野球のもう一つの魅力を思い出させてくれた。このスポーツはかなり大きな音がするスポーツであり、またチームワークが大切でかなりメンタルな面が強いということを。
実際に野球をしている人ならばこのことは知っているはずだ。ただこれまでテレビを通してしか試合を見たことがない多くの人たちにとって、選手の声を直接聞いたり、グラブに吸い込まれるボールの音などは知りようもなかったはずだ。
華やかな応援と打球や捕球の音を聞く楽しみはどのように共存できるだろうか。私は新たな応援スタイルが生まれることを期待している。それは投手が投球モーションに入ったら鳴り物をとめることだ。ボールがミットに入るか打ち返されたらまた盛大に応援すればいい。
このスタイルが定着すれば野球はもっと魅力的になる。応援する人は常に選手の動きを見ていなくてはならないし、ともに試合を盛り上げるという自覚が必要になる。単なる自己満足ではなく、選手の気持ちを盛り上げる真の応援になるはずだ。プロ野球でそれができればアマチュアの試合も変わるはずだし、海外でも模倣するリーグが現れるかもしれない。
春の雨
十八九の頃、郵便配達のアルバイトをしたことがある。もっと割のいい仕事はあったのだがなぜか肉体労働がしたかったのである。
業務は郵便番号ごとに郵便物を仕分ける仕事と、ポストにはいった郵便物を収集すること、それに配達だった。
仕分けの仕事は大まかなことは機械がやるが、集合住宅の部屋番号ごとの区分けなどは手作業で行われていた。バイトはその補助を行った。私が働いた郵便局は東京の中でも人口の多い地域だったのでこの仕事だけでも大変だった。職員(当時は郵政省の管轄だった)は私の何倍もの速度で仕分けしていたのたのを覚えている。悪筆で数字が読めなくても何号室と瞬時に教えてくれた。大体の住人の名前を覚えているかのようだった。
ポストからの収集は結構プレッシャーがかかった。郵便車を交通量が多い路上に長くは停められないということで、運転する人とポストの鍵を開け、郵便物を取ってくる人とに仕事を分けられる。私のような学生は当然、取ってくる方の仕事が割り当てられる。いまのようなレターパックはなかったが、それでもかなり大量の郵便物が詰まっていることもあった。するとかなり重いのである。雨の日は特に大変で濡れないようにするのが一苦労だった。運転手の中には時間がかかると不機嫌になる人もいて謝ってばかりいた。理不尽な怒りをぶつけられたこともある。要領の悪さを嘲笑されることもあった。
配達は自転車で集合住宅それも大型マンションの配達を託された。大抵は入り口に共同の郵便受けがあり、その中に郵便を入れていく仕事だった。かなりの家が氏名を表示しておらず、部屋番号だけが頼りだった。中にはほとんど受け取りがなされず、満杯になっているものもあって、無理矢理詰め込んだこともある。
細かいことは忘れてしまったが、もらう給与の割には大変な仕事であった。家庭教師などすればその何倍もの金が短時間で手に入ったが、なぜかそれは好きではなかった。いま教員をしているというのに。
自転車で配達をしていたとき、細かな雨が降ったことがあった。予報ではそれほど降るとはいっていなかったので雨具を借りることもなく出てしまった。郵便は蓋を締めて防水できたが自分は濡れる。焦りもあってペダルを漕ぐ力を強めると自然と汗が流れた。3月下旬の頃だった。
春の雨静かに落ちて郵便を配る男の汗に変はれる
という短歌を作って当時入っていた短歌の会で披露したら、集まっていた年配の方々にとても褒められた。こういうことは何年経っても覚えている。それだけでこのバイトをした意味があったのかもしれない。
この季節になると時々思い出す。いまはネット時代で郵便の量はその当時から比べるとかなり減ったはずだ。仕分けも機械読み取りの制度が高まって人力の範囲は減っているに違いない。今となっては自転車で配達など数日でも無理かもしれない。何もかも懐かしい。
政治ビジネスは要らない
高層マンション
近隣で高層マンションが建設中である。土地の利用という点において高層住宅は効率的であろう。ただ少し心配になる。
耐震免震の技術は進んでおり、よほどのことがなければ崩壊することはない。その規模の大地震ならば高層建造物でなくても壊滅しているはずだ。思うに電力などのライフラインが途絶する事態になったときにどうするのかということだ。先の大震災でも被災地から離れた地域でもエネルギー確保に深刻な状況が続いた。
こういうもしもの事態に対して建造物の住民はもちろん、地域の住民も含めてシミュレーションをしておくことが必要だと感じるのだ。
いかに科学的な裏打ちごあったとしてもそこで暮らすのは人間である。巨大な長屋であることを考えなくてはなるまい。
東急100周年
東急グループが100周年を迎えた。沿線に住む者として、公共交通機関や流通の提供に感謝したい。子どもの頃と学生時代、そして現在と中断期間はいくつかあるが長い間お世話になっている。
子どもの頃も今も田園都市線の沿線に住んでいる。いまは田園を感じさせる風景は限られているが、かつては雑木林や田畑が車窓からいくつもみえた。そこに緑色の先頭が丸みを帯びた電車が時折り走った。ステンレスの車両に置き換わりつつあったが緑が来るとなぜか嬉しかった。今より狭くうるさい。そして機械油の匂いがしたように思う。この旧型車両は急速に消えてしまった。いまは博物館にしかない。
子どもの頃はストライキがよくあった。恐らく中学生か高校生のお兄さんが線路に入って遊んでいるのをみたことがある。ストライキとは何か何のためにするのかをほとんど理解していなかったが、テレビニュースが大騒ぎするのとお兄さんたちの謎の行動が脳裏に焼き付いている。
しばらく東京を離れて、また戻って来たとき、中学生と高校生では東急電車との縁が切れた。ただプラネタリウムのあった文化会館やその屋上の遊戯施設、小さなステージで河合奈保子のキャンペーンに参加したこと。東横店での買い物などグループのお世話になることがあった。
大学生になって東横線で通学するようになり、その後就職して関東を離れると再び東急との縁がなくなり、十数年ぶりに帰った生活圏が東急沿線だった。何かと縁があったということだ。
関東の私鉄は私たちの生活に欠かせない。文字通りのライフラインである。これからも安全な運行を続けていただきたい。
太陽の力
ソーラー電波時計の一つが止まってしまっていた。もう一つのソーラー時計に浮気をしている間に電力を消費してしまったらしい。私の本当の書斎(ということにしている部屋)は北向きで極めて日当たりがよくない。だから陽光にあたることなく電池が消耗してしまったのだ。
もうだめかとも思ったがしばらく日に当てること数日、無事に復帰した。しかも電波を受信して秒単位でのほぼ正確な時計に復活したのである。太陽の力は偉大だ。また、安物時計などと侮ってはならなかった。再び私の仕事用の時計として使うことにしよう。冬場になるとコートを着る関係で腕時計がその下に隠れてしまい。腕時計が自然露光する機会が減る。だから、意識的に太陽にさらすようにしなければならないのだ。
この種の時計は私が何よりも愛用するものである。自動巻きももちろん魅力的だが、陽光だけで動き続ける仕組みは魅力的ではないか。
表情筋
正しい名称は知らないが表情を形成する筋肉はとても複雑な動きをしているに違いない。わずかな表情の違いを私たちは読み取る。だからそれに応じて微妙な形を作り出しているのだ。
人工知能で作画したアニメーションはかなり自然に近い動作を生成できる。ただ顔の表情となると何か違和感が生じる。説明が難しいがそうはならないという動きになる。手作業のアニメでもこの問題は完全には解決できない。我々はアニメーションにおける表情の型に慣れてきているので不気味さを感じないだけなのだろう。
歳をとると表情が乏しくなるらしい。他人を見てもまた自分自身のこととしてもどうやらこれは当たっているようだ。表情筋にもそれなりの体力がいる。顔のトレーニングもやはり必要なのだろう。