日本語にとって漢字は不可欠だ。恐らく漢字がなければ貧弱なコミュニケーションしかできない。漢字はもともと古代中国の文字だから、日本語は外国語に支えられていることになる。

これは別に日本語だけの現象ではない。ヨーロッパな言語の多くも、自国語以外が発祥の語彙が多数含まれ、文法までも他言語から取り入れている。日本語の場合はそれが文字という目に見えるものだから分かりやすいというだけだ。ちなみにひらがなもカタカナも漢字の省略から生まれている。
さて、漢字を書けることは日本語話者にとっては重要な課題だが、この能力が少しずつ低下している。その原因の一つが、デジタル化によって漢字を手書きする機会が減ったということがある。複雑な字形の漢字は、つねに形を確認しておかなくては忘れてしまう。そして確認の方法が書いてみることにあるのだ、
例えばいまこのブログはiPhoneでフリック入力している。仮名で入力すると漢字の候補が挙がる。その中から相応しいものを選ぶのだが、この際に漢字の字形はほとんど瞬時に見るばかりで、詳しく確認していない。万一、少し違う文字をそれとなく紛れ込ませていたならば、それを選んでしまう可能性は十分にある。
こうした生活を繰り返していると漢字が書けなくなっていく。書けないと漢字を使う機会は減るから、次は読めなくなることに繋がる。
私自身の問題として漢字を書く機会を確保しなくてはならないと考えている。それには積極的に手書きの文章を残すことがいい。その中で漢字を極力使うことにしよう。人に言う前に、まず自分の言語世界を守らなくてはならない。