
銃弾に斃れた安倍元首相が国葬されることになった。賛否は分かれる。否定的な意見がやや優勢だ。安倍氏がもし発言できるとしたら、自分の葬儀を国葬にしてほしいだろうか。私はよくわからないがおそらく断るのではないかと考えている。
国葬は何のためにあるのか。国民が喪にふすためというならばこの行事はやらない方がいい。安倍氏の業績は大きいが、国民の大半には不利益しかもたらさらなかった。つまり、日本経済をその場限りの延命策で持ちこたえさせられたのは大きな功績だが、イノベーションもしばしば発言された女性の活躍も達成できなかった。
国葬をやることに意味ないかといえば、私はなくはないと考える。これを口実にいろいろなことが始められるのはいいことだろう。統一教会などカルト宗教と政治の関係を見直す機会としてはいい。また安倍氏の死去にかこつけて日本に訪れる弔問使節を外交の相手として活用することは大切だ。
議員を銃撃してはならない、政治は暴力によってはいけないというメッセージは出るのだろうか。狙撃手の家庭環境には大いに同情するものの、何があっても言論を暴力で消してはならない。それをすれば民主主義は終わるというメッセージはでるのだろうか。安倍氏の功績を評価する以前にこのメッセージを国民にしなければならないが、果たして行われるのか。はなはだ疑問だ。
葬儀は死者を弔うための行事に見えて、実はまだ生きているものたちが自らの立場を確保したり有利に運びたいがゆえの闘争だ。つまり、棺桶の外側の問題なのである。日本がこの国葬を外交にいかに生かすのかが今後の課題なのであろう。